緊急ラジオレポート ギュンター・グラスはナチスの武装親衛隊員だった。 熊谷 徹

2006年8月16日 
FMラジオ局 JーWAVE 番組JAM THE WORLD ニュース番組 Cutting the edge
午後8時20分から30分まで

報告・ドイツ在住ジャーナリスト 熊谷 徹

Q、グラス氏について説明して頂けますか (国内での評価や人気は?)

今年78歳になりますギュンター・グラスは、ドイツの作家の中では、国際的に最も高く評価されている人物です。
1959年に「ブリキの太鼓」を発表しましたが、この第一作で世界的に有名になりました。
この作品は後に映画にもなっています。
彼の作品の特徴は、幻想と日常の世界が複雑にからみあっていること、そして少年時代の戦争体験が、小説の中に織り込まれていることです。1999年には、ノーベル文学賞を受賞しました。その他にもドイツでたくさんの文学賞を受けています。
さらに、彼は政治的なテーマについて、積極的に発言することでも知られています。
特に、ドイツがナチス時代の過去と対決することを、積極的に求めてきました。
彼にとって、小説を書くということは、「戦争の時代を忘れない」という目的も持っていたのです。

> Q、どのような経緯でグラス氏がナチスの武装親衛隊に所属していたことが
> 明らかになったのでしょうか?

グラスは、先週の土曜日に新聞に掲載されたインタビューの中で、初めて自分が17歳の時に武装親衛隊に加わっていたことを明らかにしました。彼は、「15歳の時に潜水艦の部隊に志願したが、採用されなかった。軍のために労働奉仕をしていたところ、突然召集令状を受け取り、軍に出頭してみると、自分の部隊が武装親衛隊だということが初めてわかった」と説明しています。

グラスが正式に武装親衛隊に入っていたのは、1944年の末か1945年の初めからの数ヶ月間だったと見られています。
彼は、「ほとんど訓練していただけで、実戦で弾を撃ったことは一度もない」と話しています。

また彼が属していたのは、第10SS戦車師団という戦車部隊なのですが、この部隊が、虐殺などの残虐行為をしたという記録もありません。

Q グラス氏は、なぜ今になって告白したのでしょうか?

この点が、最大の謎とされているところです。

グラスは、これまで「自分は少年のころ、当時の教育や宣伝にだまされて、ナチスの思想に傾倒していた」と常に話していました。このことは、ドイツではよく聞かれる話で、特に珍しくありません。
また、グラスは、兵士として従軍したことも、これまですでに公表していました。

しかし、所属した部隊が武装親衛隊だったという事実を告白したのは、初めてです。

グラスは、来月初めて自伝を出版するのですが、その中で自分が武装親衛隊に招集されたいきさつや戦争時代の体験を、詳しく書くと説明しています。

彼はインタビューの中で、「この本を書いた理由は、長年この事実について沈黙してしまったためだ。だが、もう沈黙し続けることはできない」と説明しています。グラス自身も、武装親衛隊にいたことを隠していたことについて、悩んでいたことがうかがわれます。

Q  ドイツの人たちにとってナチスの親衛隊に所属していたという過去は許されないことなのでしょうか?

武装親衛隊は、国防軍とともに、前線で戦うことを主な任務とした、エリート部隊でした。
強制収容所でユダヤ人を大量に虐殺した、一般の親衛隊とは異なります。
しかし、ナチスの中で最も凶悪な組織だった、親衛隊の一部であることにはかわりはありません。
グラスのいた部隊ではありませんが、武装親衛隊の他の部隊の中には、フランスなどで市民を虐殺した部隊もあります。

1985年に当時のコール首相がレーガン大統領とともに、ドイツのビットブルクという町で、第二次世界大戦でたおれた兵士の墓地を訪れたことがあります。ところが、後になってこの墓地に武装親衛隊の兵士49人が埋葬されていたことがわかったため、ドイツだけでなくヨーロッパ全体で、コール首相は激しく批判されました。
ユダヤ人など、多くの被害者たちにとって、武装親衛隊はナチスの犯罪の象徴なのです。


Q、今回の告白に対するドイツメディアや市民の反応は?

多くのドイツの少年、少女たちは、ナチスの犯罪性について全く知らされず、良い面ばかりを聞かされていたので、ナチスやヒトラーに強く魅かれていました。ほとんどの人がナチスの犯罪について、知ったのは、戦争が終わってからでした。グラスもそう説明しています。


問題は、グラスが60年間もこの事実を隠していたということです。この点については、一部の政治家や芸術家たちの間から、グラスを批判する声が上がっています。

特にグラスは、リベラリズムの旗手として、過去との対決を最も積極的に求めてきた芸術家の一人です。
グラスが、政治家や市民に対して、ナチスの歴史と正面から向き合うことを、求めておきながら、自分が武装親衛隊にいたことを隠していたことについては、「失望した」という声が上がっています。

一方では、グラスが誰にも強制されずに、自分からこの事実を明らかにしたことについて、「尊敬するべき行為だ」として彼を弁護する意見も出ています。

Q、ノーベル賞の返還を求める動きがあるそうですが、この問題、今後どうなりそうですか?

ドイツの保守系の政治家がグラスに対して、「ノーベル賞を含めて、全ての賞を返すべきだ」と発言したことは事実です。
しかし、ノーベル文学賞は、グラスの政治的な発言に対してではなく、彼の作品に対して与えられたものです。
武装親衛隊にいたからといって、グラスの作品の価値が下がることにはならないと思います。

しかし、彼の左翼知識人としての、これまでの活動や発言が、厳しく見直されることは、避けられないと思います。

グラスは1993年に生まれ故郷のダンチヒ、今はポーランドのグダンスクから名誉市民の称号を受けています。
しかしポーランドのワレサ元大統領は、彼が武装親衛隊にいたことがわかったことから、グラスに対し「名誉市民の称号を返すべきだ」と求めています。

Q 熊谷さんはこの問題、どうごらんになっていますか?

私は20年近く、ドイツ人が過去の問題とどう取り組んできたかを、テーマの一つとして取材しています。
その中で学んだのは、過去の犯罪と向き合うことを怠ると、その問題が今日の政治や経済に悪い影響を与える危険があるということです。
私はこの問題を、「歴史リスク」と呼んでいます。
歴史リスクは、時間が経てば経つほど、大きくなります。
ギュンター・グラスは、この歴史リスクを60年間にわたって抱え続けてきたため、晩年になって、その名声に疑問が投げかけられるという運命に直面しているという気がいたします。